2017年11月15日水曜日

第1回はじめての経験

「はじめての経験」シリーズは昔mixiに投稿した日記です。

シリーズと言えるほど長くは続かなかったけど、書いていてとても面白かったし、いつかまた復活させようと思っていたのに、残念ながらmixi熱はとっくに冷めてしまいました。

今のところmixiを辞めようとは思っていませんが、何が切っ掛けで膨大な過去ログを捨てることになるかわかりません。

で、残しておきたい過去ログだけ少しずつこちらに移動することにしました。

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自分にとって初めての経験がなんだったか思い出すコーナー。

勝手に始めます。始めますけどお題が思いつかなければ、これが最初で
最後になるかもしれません。

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ということで第一回は「カラオケ」。

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カラオケが流行り出したのは私が二十歳くらいの頃だったでしょうか。

高校時代にもあるにはあったのですが、スナックやバーくらいしかカラオケの装置を置いてなかったので、自分には関係ないもんだと思っていました。

人前で歌うなんてとんでもない、あーいうのは好きな人が好きなだけやってればよろし、と思っていましたんで、高校を出て社会人になってから飲み会に誘われてもカラオケがあると聞けばとっとと帰るという若いくせにつきあいの悪いお嬢さんでした。

で、人生初のカラオケは昭和62年(1987年)9月7日。当時22歳。
場所は北海道積丹郡積丹町大字余別町のスナックはまなす。

ユースホステルの夏のアルバイトは9月の第一週までだったんですけど、祝日に団体が入るってことで、どういうワケか一番遠くから来ていた私が残ることになり、もう帰るバイトの男の子に連れられて、地元で一軒きりのスナックに飲みに行くことになりました。

スナックのママは毎日ウニ剥きの仕事で顔を合わせていた母さん。
ウニ剥きで真っ黒になった指で水割りを作ってくれて、朝はぱかぱかウニを剥いてたのに、夜は水割り作ってんだもんなぁ、おもしろいなぁと水割りおかわりしているうちに相当酔っぱらいまして、もうダメー、飲めねーと席を立ったら、ママが私にいきなりマイクを渡したのです。

もう一瞬で酔いが醒めましたよ。
だって私は死んだ婆さんの遺言でカラオケはしないって決めてたんだもの!
(当時は婆さん、死んでません。というかまだ生きてます)

なになになに!とあたふたしてたら、もう曲入ってて、一緒にいた男の子がマイク持って歌う気満々で立ってんの!

しかも『ふたりの愛ランド』て。
初めてのカラオケが余別(よべつ。アイヌ語であの世って意味らしい)のスナックはまなすでふたりの愛ランドって。

男の子、妙にうまいし。<一時札幌のライブハウスで歌ってたらしい

「なつなつなつなつココーナツ、あーいあいあいあいアイランド」で極度の緊張と声の出し過ぎで貧血起こしてその場でぶっ倒れました。

だから最後まで歌ってないの。
でもこれが私の人生初のカラオケ。

この十年後、いきなりカラオケブームがやってきます。
でも一年くらいで醒めました。それっきりカラオケ行ってません。

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写真はカラオケ初体験の二ヶ月くらい前かな。余別のお祭りです。
ユースホステルからも神輿が出て、お店とか旅館の前でわいわいやっては日本酒を振る舞われます。

相手は基本漁師なので振る舞う量が半端ではありません。
日本酒と一緒にほっけとかつぶ貝とかあわびとかでかいお皿に山盛り。
そっちを食べたいならまんず一杯呑めやって話ですよ。

たぶんこれまでで一番呑んだと思います。
そして最後の漁業組合で漁師のあんちゃんに海に突き落とされました。
泥酔状態で海に入っちゃあいけません。死ぬかと思いましたよ。
いや、死んだ。

やっとの思いで這い上がってあんちゃんに仕返ししようとしたら、殺す気かと怒られてしまいました。あのあんちゃん、一生顔忘れねー。

あ、写真の一番手前、道路に寝転がってピースしてるのが私。(死ぬ前)

2010年11月3日掲載