2024年4月10日水曜日

追憶

夜中にNHKで「京成本線のある風景 上野から成田空港へ」っていうのやってて、父が眠る日暮里駅とか子供の頃ひとりで祖母の家に行く時に乗った町屋駅から鬼越駅までの風景とか、もう半世紀以上たっているのにほとんど変わっていなくて、いろんなことがわーっとよみがえってきて、今日こそ早寝して早起きしようと思っていたのに、終点に着くまで眠れなくなっちゃったじゃないか。

まだ実家にいた頃、一番利用していたのは最寄りの町屋駅、次に利用していたのは博物館動物園駅で、博物館動物園駅が廃止される直前、中学の部活のひとつ下の後輩と一緒に潜り込んで、ホームの端の壁に二人の名前を彫ったんだよなぁ。その後輩も今では建築事務所の所長さんで美術大学で教鞭を振るっている。あぁ、私は何をやってるんだ。

京成線の高架下には同級生も何人か住んでいて、仲のよかった女の子に「電車通るたびうるさくないの?」って聞いたら「もう何万回同じこと聞かれてる!今日学校の帰りにうちに寄って自分の耳で確かめて」と言われて、ついていったら、むしろ銭湯と都電に挟まれていた我が家のほうがうるさいくらいで、家は住んでみないとわからないなぁって思ったものです。

スカイライナーが開通してからもますます京成線は利用しなくなり、実家を出てからはもしかすると二度と利用しなくなるかも、と思っていたけど、京成電車が好きな父は日暮里駅近くのお寺さんにお墓を買い、自分が入る前から何度も電車に乗ってお墓を掃除してた。

父が亡くなった時、これからはまた京成線を利用するようになると思いきや、たった一駅なのにスカイライナーのせいでなかなか各駅停車が来ない。ホームには知らない外国語の看板が並び、もうここは私が知っている日暮里駅ではなくなってしまいました。

母も同じことを思っていて、お寺さんから徒歩1分の京成線ではなく、谷根千を通って10分ほどぷらぷら歩いて根津駅から千代田線で帰ります。

テレビで見れば京成線は半世紀前とほとんど変わっていないんだけど、実際に乗ってみたら、もう何もかもが変わっているようにしか思えない。